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名古屋高等裁判所 昭和58年(ネ)265号 判決 1985年1月30日

控訴人

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

安間雅夫

中島正男

被控訴人

丸山隼人

右訴訟代理人

近藤之彦

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。公権力行使の違法性の判断基準に対する当裁判所の判断は原判決理由三説示のとおりであり、また本件恐喝事件(以下単に「本件」という。)が告訴を端緒とするものであるところ、その告訴の経過は原判決理由四説示(原判決四四枚目裏四行目「なお」以下四五枚目表五行目まで)のとおりであるから、それぞれこれを引用する。

二検察官が本件起訴に際して公訴事実を立証するため有した証拠のうち供述調書は、大雑把に分けて次の四種類の供述調書即ち共犯者星野久子(以下「星野」という。)の供述調書、被害者岩田浩行(以下「岩田」という。)およびこれに類するものとして岩田浩行の妻岩田美代子の供述調書、被控訴人の供述調書および井生春夫(以下「井生」という。)ら関係人の供述調書に分けられるところ、とりたてて物証の存在しない本件においては結局前記供述調書のうち関係人のそれ等を除外した先の三種類のものが重要な証拠となり、以下それらの供述の変遷を検討することによつてその信ぴよう性を判断する。

1  星野の供述について

(一)  <証拠>によれば、岩田の司法警察員に対する告訴にもとづき三重県警察本部は昭和四四年六月一一日、同月一六日の両日にわたつて星野を在宅のまま取調べたが、右取調に際し、星野はおおむね次のことを述べたことが認められる。即ち、星野は昭和八年三月二八日生れで昭和二七年後藤正光と結婚したが、昭和三五年離婚し、昭和四四年六月当時高校生と中学生の子女を養育しながら朝日生命保険相互会社の外務員として稼働していたこと、昭和四二年九月二九日、星野が四日市市川島町のバス停でバスを待つていると黒塗りのセドリックが停つて乗せてくれたこと、車内には見知らぬ男が二人乗つていたが、一人は四日市市内で下車し、あとの一人は加藤と言つたが、同人と星野はその後半日を映画を観たり、互の仕事をしたりして行動を共にし、夕方名古屋市内の今池のホテルの様な所へ食事に入つたこと、食事が済むと加藤は突然星野を強姦したこと、星野は一旦逃げ出したが、加藤が追いかけて来て謝つたりして送るというので、結局桑名市内の自宅まで送つて貰つたこと、別れぎわに加藤は今後面倒をみたい等と言つて連絡方法を教えてくれというので、星野は名刺に電話番号を書いて渡したこと、帰宅後同女は強姦されたことを残念に思い、警察に届出る決心をして、かねて自己の自動車が盗難にあつた時知合つた被控訴人の所へこつそり相談に行つたこと、同女は被控訴人から告訴状と診断書を出すことを勧められて丹羽医院で打撲傷の診断書を、また高井司法書士に告訴状をそれぞれ作成して貰つたこと、翌一〇月一日星野は四日市北警察署で被控訴人にこれらの書類を渡したが、その際加藤が乗つていた自動車の番号も被控訴人に知らせたこと、一〇月中旬の午後九時頃、星野は被控訴人から加藤らしい男を捕えたから面割りに来て欲しい旨の連絡をうけ、直ちに四日市北警察署に出頭したこと、同署で星野がものかげから右の男を見て被控訴人に対し加藤であることは間違いない旨返事すると、被控訴人は、加藤というのは偽名で本当の名は岩田といい、強姦の事実は否認していると星野に伝えたこと、しかし岩田は星野の顔を見ると急に謝りだし、何とか金で処理して欲しいと申出たこと、被控訴人は、立場上、金のことには関与できないので自分達で話し合うようにと言つたが、金額が折り合わず、結局被控訴人のとりなしで五〇万円にきまり、岩田がこれを翌日の夕方までに被控訴人のところへ持参することになつたこと、翌翌日、岩田の妻美代子と岩田の友人井生が五〇万円を持参せずに被控訴人を訪ねて来て、金が用意できないと言うので星野を呼んで桑名市内の旅館で話合いをしたこと、被控訴人は、右の話合いに直接には関与しなかつたが、双方の話が平行線をたどるようになつて、星野が席を蹴つて帰宅してしまうと、岩田美代子と井生に頼まれて、当日同人等が準備していた二〇万円を星野に手交すべく預つて星野方を訪れ、右金員を渡すと共に、翌日更に五万円を岩田から星野に送らせることで納得させる役割を果したこと、星野は、更にその後に二度にわたつて二五万円を送れと岩田の所へ電話したこと等を陳述した。

(二)  <証拠>によれば次の事実が認められる。即ち、星野は、昭和四六年一二月八日に逮捕され、引続いて勾留され、同月二九日、被控訴人、三崎忠(以下「三崎」という。)と共謀していわゆる美人局で岩田から二五万円を喝取したという本件とおおむね同じ公訴事実で起訴されたこと、同女は起訴後も翌四七年三月六日まで勾留されていたが、第一回公判期日においては公訴事実を認め、同年六月二三日、懲役一年執行猶予三年の有罪判決を受けたこと、星野は前夫である後藤正光との婚姻中から何かと噂され且つ離婚後も一時期愛人関係となつていた三崎から、かねてから賢く男を利用して金を儲ける方法等といつて美人局をする話を聞いていたが、昭和四二年九月二八日(以下年号を省略し、月日のみで特定した場合は昭和四二年を指す。)、三崎から「明日一一時頃湯の山街道の川島というバス停で待つていて欲しい。いい男を紹介する。紹介した男はつき合つていれば手を出して来る。仮に関係されたら自分に言つて来てくれ。あとは、自分の知合いの被控訴人に頼めば、示談で解決してくれ、金になる。」との電話を貰い、既に三崎から聞いていたこと等から同人の意図を察知し、これを承知したうえ翌二九日三崎の指示に従つて出かけたこと、星野が川島のバス停で待つていると、三崎が岩田の運転する自動車でやつて来て拾つてくれたが、三崎が口に指をあてたので自分と三崎が知合いであることを言つてはならぬと指示されたと理解して素知らぬ顔をしていたこと、岩田に家まで送られて後三崎に強姦された事実を連絡し、翌九月三〇日、三崎と共に高井司法書士を訪れ、告訴状を書いて貰い、またかかりつけの内科医丹羽医師を訪れ、男に乱暴されて怪我をしたと訴え、「全治約二週間。右前胸部並びに上肢、顎下部打撲傷」の診断書を受け取り、これと先の告訴状を共に三崎に渡したこと、その際三崎はあとは被控訴人にまかせておけばよいと言つたこと、その夜、被控訴人が三崎と共に星野方を訪れ、被控訴人は星野に対し事実の有無を確めたが、それ以上特に問いただすことはしなかつたこと、その際三崎は被控訴人に対し、「強姦やで捕えて話し合い、示談に持つて行つて貰いたい。」と言つたこと、星野は、一〇月一七日までの間に岩田の車のナンバーを確めるために桑名の駅前で同人に会つたこと、一〇月一七日の夜、星野は、面割りの為出頭して欲しいとの連絡を被控訴人から受けて四日市北警察署に出頭し、その際被控訴人から加藤というのは本名でなく、岩田というのが本名であることを聞いて面接し、強姦の犯人は岩田であることは間違いないと答えたこと、また被控訴人は星野に対し、岩田が示談で片付けたがつているから直接話し合つてくれと言つて席をはずしたが、星野は岩田の提示した二〇万円の金額では不満で、その頃再び戻つて来た被控訴人と岩田に対し、「女のわたしが二・三か月で稼げる金で済まそうとするのなら話し合う必要はない。被控訴人に頼んだようにして貰いたい。」と二〇万円以上の金員を要求し、それが入れられねば警察の処罰を望む趣旨の発言をしたこと、その頃被控訴人は黒い手帳を手にしており、それについて岩田と話し合つていたこと、結局、岩田は翌日五〇万円を星野に支払う案を提示し、被控訴人が星野に対し右金額で納得させたりしたこと、翌々日、岩田の妻、美代子と岩田の知合いの井生とが五〇万円は準備できないので減額して欲しいといつて被控訴人の所を訪れたので、桑名市内の旭旅館で被控訴人は星野をまじえて同人等と話し合つたところ、被控訴人はかかる話合いに現職の刑事が首をつつこまざるさママえなくなつたのは迷惑である旨の発言をしたが、一方では岩田美代子らに対し岩田が来ないのは話が違うでないかとの趣旨のことも言つたこと、しかし最終的には井生らに頼まれて星野に二五万円で満足する様に納得させ、井生らから預つた二〇万円を同女に受け渡す役割を果したこと、翌日星野は岩田から更に五万円を送付され、これを受領したこと、三崎は、星野が連絡しないまでも岩田が五〇万円を支払う約束をしたことおよび星野が一〇月一九日に前記二〇万円を受領したことを知つていて、その都度星野に電話連絡して来たこと、三崎は星野が受領した右二五万円のうち七万円を同女に渡し、残余の一八万円は被控訴人や間に入つた人間に渡さねばならぬと言つて取り上げたこと、星野は最初の三重県警察本部の取調についてはその都度三崎にその内容を知らせ、また被控訴人にも自己の供述内容を伝える等したこと、星野が右警察の取調を受けるに際し、三崎は同女に対して、同女と自分の関係および岩田から受領した金員を三崎らと分けたことは絶対話してはならぬと命じ、同女もその言に従つたこと、星野は、被控訴人を本件以前に三崎に連れられて被控訴人方を訪れたこともあつて知つているのであり、当初の取調べの時被控訴人を自動車の盗難のことで知り合つたと述べたことは嘘であること、三崎と星野の愛人関係は本件当時は以前ほど親密なものではなく、まれに電話があつたり、会つたりする程度であつたこと等を供述した。

星野は、自らが起訴された昭和四六年一二月二九日までは、三崎との共謀については、一応は認めるものの、必ずしも明確には述べず、また三崎が被控訴人と知合いであることは三崎から聞いていたと述べながら、自己が前記の盗難の件で被控訴人と知合つていることは三崎に話さなかつた等と述べて、三崎、被控訴人および星野の関係を明確には供述しなかつたが、起訴後から昭和四七年一月中に行われた六日間にわたる検察官の取調に対し、三崎と自己との共謀およびその際三崎が被控訴人に頼めばいいと言つていた話等を仔細に供述するに至つている。

(三)  <証拠>によれば、検察官は星野の逮捕の前後に関係人の取調をして、星野の前夫の後藤正光や三崎の前妻加藤純子から、三崎と星野は本件以前から普通以上の仲であつたこと、また三崎の情婦であつた葛山雅代から、三崎は被控訴人とは旧知の仲であるように見え、昭和四一年頃にも三崎に連れられて金銭回収の件について被控訴人に相談に行つたことがあること等の裏付証拠を取り、星野が岩田から受領した二五万円についても、当初は全額自己が費消したと供述していたが、星野の娘の光子や昭和三九年から同四六年まで星野と情交のあつたという佐川行美の取調べによつて、結局星野が取得したのは二五万円のうち七万円にすぎないとの星野の供述を得るに至つたことが認められる。そうして甲第六八号証によれば、星野は昭和四八年八月二日の公判期日で証人として、自宅の前で三崎および被控訴人の三人で本件の共謀をしたことは絶対にないことおよび昭和四七年一月以降高橋武三検事の取調に対して供述したことはすべて本当であると証言していることが認められる。

(四)  以上(一)ないし(三)に認定した事実関係によつて判断すると、星野は、元々情交のあつた三崎の誘いで同人の仕組んだ美人局の話に乗り、岩田から示談金名下に金員を引き出すことを共謀して犯行に着手したものと認められるところ、三崎とは当時既に従前ほど親密な関係にはなく、しかも<証拠>によれば、昭和四五年頃からは連絡さえもとだえて関係が無くなつており、また手にした金員も二五万円のうちわずか七万円でむしろ三崎に利用された形であつたことや、星野自身は前科前歴が無く、しかも自己の恐喝事件においては公訴事実を全面的に認めていたことに照らせば、星野は自己の恐喝事件で起訴されて後は特に隠しだてする利益もなかつたばかりか、裏付証拠によつて自己の供述の矛盾点が次々と崩され、最終的にはその証言の通り検察官に対し事実を述べたものと認められるし、その勾留期間およびその間の取調べの経過をみても不当に長い勾留の後の供述とは認められず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

2  岩田および岩田美代子の供述について

(一)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。即ち、岩田はわいせつ図画販売、同所持の前科を多数有する者であるが、昭和四二年九月当時は、同三九年九月二四日名古屋高等裁判所でわいせつ図画販売の罪によつて懲役六月、同販売、同所持の罪の刑で懲役八月の刑に処せられ、右刑の執行を同四一年五月一五日に受け終えたばかりであつたこと、出所後も岩田は自作自演で、男女性交の情景を露骨に撮影したいわゆるわいせつフィルムを製作販売して収入を得ていたが、最初の告訴をした昭和四四年五月三一日当時取調を受けていたわいせつ図画販売の罪で起訴され保釈になると、更に同年九月二四日神戸地方検察庁の検察官に対し同じ理由で被控訴人と星野を告訴したが、告訴の動機について犯行当時直ちに告訴すべきであつたが、自ら法律違反のわいせつ図画を売つている引け目もあつた為泣き寝入りしたが、我が身が逮捕されたならば告訴しようと考えていたと述べている。

(二)  <証拠>を仔細に検討すると、岩田が四日市北警察署で星野に対し五〇万円を支払う約束をするに至る経緯、特にそれに至るまでの被控訴人の言辞については、前記星野の供述調書の内容および当時の被控訴人の職業や立場ならびに岩田の告訴の動機に照らして考えると、たやすく措信しうるものではなく、同様に旭旅館における被控訴人の言辞に対する岩田美代子の供述調書の内容も旭旅館における話合いに立会つた井生春夫の供述内容(甲第六・第七号証、第四七号証)に照らし、措信するに足るものではない。

しかしながら、<証拠>によれば、九月二九日岩田は三崎を同乗させて自動車で湯の山温泉へわいせつフィルムを売りに行つた帰途、三崎がバス停に立つている星野を拾い、同女に対し岩田に送つて貰らえ等と言つて途中下車したこと、その後岩田は星野と映画を観たり、互にその仕事をしたりして半日行動を共にしたが、夕方名古屋市内の旅館に入つて食事を共にし、食事後星野と肉体関係を持とうとしたが拒まれて目的を遂げず、そのまま桑名市内の同女方まで同女を送りとどけ、次の逢引の約束等をして連絡の為の電話番号も教えて貰つて別れたこと、一〇月一七日岩田は三崎からわいせつフィルムの欲しい客が居るとの連絡を受け、同夜弟を連れて三崎方を自動車で訪れると、間もなく被控訴人が入つて来て警察手帳を見せて神戸ナンバーの自動車の持主を問い、名のりをあげた岩田に対し、運転免許証の提示を求めて本人であることを確認したうえ、聞きたいことがあると言つて四日市北警察署まで連行したこと、その際被控訴人は岩田から自動車の運転免許証ばかりでなく自動車の鍵まで取り上げたこと、同署で岩田は被控訴人から星野を知つているかと問われ、また星野に対する強姦の事実を問いただされたが、これを否認すると今度はわいせつフィルムのことをあれこれ問われたこと、この間被控訴人は自ら三崎方まで出かけ、同所に停めてある岩田の自動車の中から岩田の顧客メモののつている手帳を押収して来て、その内容について更にあれこれ追及したこと、被控訴人に右手帳を押収されたことは岩田を追いつめた形となり、岩田は被控訴人に対し何とか星野を呼んで欲しいと頼んだこと、星野と岩田の示談金の話は二〇万円、二五万円とせり上つたが、わいせつフィルムで長く懲役刑に行くことになると、家族は勿論、客にも迷惑をかけることになると考え、結局岩田は五〇万円を翌日星野に支払う旨の提案をして星野の納得を得、その上で被控訴人から手帳、自動車運転免許証および鍵の返還を受けて釈放されたこと、岩田は三〇万円ばかりしか手持ちがなく、五〇万円を翌日持参することなど出来る当てもなく、帰宅後、知合いの井生に相談して、とりあえず岩田の妻美代子と井生が二〇万円を用意して翌々日即ち一〇月一九日に被控訴人の所を訪ねたこと、被控訴人は星野と共に井生および岩田美代子と桑名市内の旭旅館で話合い、岩田美代子は星野に対し家の事情等を話して二〇万円で我慢して欲しいと依頼したこと、これを不服として、星野が席をけつて帰つてしまうと、被控訴人は岩田美代子らから何とか星野を説得して欲しいと請われて星野方を訪ね、同女に同日二〇万円を受領させ、翌日更に五万円を岩田から同女に送らせることとし、結局二五万円で結着をつけることを納得させたこと、岩田美代子が被控訴人に対し、何とか星野を説得して欲しいと依頼したのは、要するに岩田を再び拘束される身にしたくないとの思いであつたことが各認められ、岩田が星野を姦淫したか否かの点を除けば右の限度で岩田および岩田美代子の供述は先に認定した星野の供述、後に認定する被控訴人の供述と大筋において一致していて信用できる。

3  被控訴人の供述について

(一)  <証拠>によれば、被控訴人は、先に認定した岩田の最初の告訴に基づき昭和四四年六月二〇日、同月二三日の両日にわたり在宅のまま三重県警察本部、司法警察員小谷潔から取調を受けたこと、原判決理由四説示の通り津地方検察庁は右警察本部からの送致と岩田が神戸地方検察庁になした同じ告訴事件の移送とに基づき、被控訴人を昭和四六年一二月から翌四七年一月一一日まで在宅のまま取調べたが、被控訴人がその頃胃かいようの為入院したので約一か月取調が中断し、その間被控訴人は近親や上司の強い勧めで同年二月二九日依願退職し、退院後の三月三日逮捕され、同月二二日本件の起訴がされたことが認められる(右依願退職、逮捕および起訴の事実ならびに日時については当事者間に争いがない。)。

(二)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。即ち、星野は昭和四六年一二月八日、先に認定した同女に関する恐喝の容疑で逮捕され、被控訴人も時日を経ずに検察官の取調べを受けるに至つたが、検察官は星野、岩田、岩田美代子、井生および被控訴人の取調べによつて知つた事実以外に主要なものとしておよそ次の事実を知つていた。即ち  津地方検察庁は、昭和四六年一一月一八日、三崎が関与した別の美人局の事件で三崎の自宅を捜索したが、その際被控訴人が員弁警察署に転勤した当時、三崎と被控訴人が非常に親密な関係にあることを窺わせる電話の録音テープを押収した。  三崎は同年一一月初旬頃から行方不明となつた。なお三崎は最初の告訴に基づき重要な関係人として三重県警察本部によつて取調べを受けたが、信用に値する様な供述はしなかつた。  三崎は、星野の強姦の告訴については、告訴状の作成の段階からかかわつていた。の美人局事件は、三崎が自己の妻林節子をして恐喝を敢行せしめたものであり、林はその頃右の事件で起訴され、その後別の同種の事件と併合審理されて、昭和五二年九月二七日懲役一年六月、執行猶予三年の判決を受けた。  三重県警察では、告訴があつた場合は、直ちに上司に報告し、且つ告訴事件指揮簿に登載することになつていたが、被控訴人は星野の告訴についてはいずれの手続もとつていなかつた。  既に1の(三)で認定した通り被控訴人は三崎と旧知の仲であつたらしく、昭和四一年頃にも三崎の情婦の金銭問題の相談にのつている。

右の他に<証拠>によれば、検察官は、昭和四六年一二月二四日、被控訴人と岩田の立会をえたうえ、一〇月一七日の夜被控訴人が岩田の自動車を発見した三崎方およびその庭ならびに近辺道路の検証をしたことが認められる。

(三)  <証拠>によれば、被控訴人は昭和二九年三月二七日三重県警察学校を卒業し、同日三重県巡査を拝命し、四日市警察署に配置されたが、同三二年三月二七日、松阪警察署に配置換となり、同三四年一一月一三日桑名警察署の捜査係に、同四〇年三月二九日富田警察署(後の四日市北警察署)に配置換となり、同日巡査部長に昇任して捜査係主任として勤務したが、同四三年三月二六日県警察本部刑事部捜査第二課に配置換となり、知能犯係を命ぜられ、同四四年三月二五日、員弁警察署捜査係長心得に配置換となり、同年五月一日三重県警部補に昇任し、同四五年九月二六日、四日市南警察署外勤第二係長に配置換になつたが、同四七年二月二九日依願退職した事実が認められる。

(四)  <証拠>によれば、被控訴人は、三重県警察本部司法警察員小谷潔に対し岩田の告訴にかかる事実を否認したが、おおむね次の事実を供述していることが認められる。即ち、昭和四二年九月末頃、被控訴人がかねて桑名警察署に在勤中自動車の窃盗事件のことで顔見知りの星野が、四日市北警察署の被控訴人の所へはずかしいことだがと言つて訪ねて来たこと、被控訴人は、同女の気持を察して自分の自動車の中へ連れて行つて話を聞いてやつたところ、同女は加藤という男から強姦されたと言つたこと、被控訴人は星野に対し処罰を求めるのなら告訴状と診断書の提出をうながしたところ、翌日か翌々日星野はこれ等を提出したこと、星野から聞いた自動車のナンバーをもとに兵庫県陸運事務所に問い合せ、持主が岩田であることを知り、同時に岩田の前科照会をしてわいせつ図画販売の前科が五回位あり、服役したこともある事実をつきとめたこと、半月ほどした一〇月中頃の夜、偶然三崎の家の前の道路を通過する時、空地に駐車している前記岩田の自動車を発見し、駐車車両のあつた近くの三崎の家に入り、警察手帳を示して神戸ナンバーの自動車は誰のものかと問うと岩田が名乗りをあげたので、問いたいことがあると言つて四日市北警察署へ任意同行の形で連行したこと、その際運転免許証と自動車の鍵を提出させ、自ら預つたこと、同署において被控訴人は岩田に対し星野の強姦の事実を問うたが、岩田がこれを否認するので、更にその頃四日市市内でわいせつフィルムが売られている話を聞いていたので、これを売り歩いているのではないかとも尋ねてみたが、これまた否認したこと、そこで被控訴人は岩田の承諾を得て三崎方まで出かけて岩田の自動車の中を捜索して一冊の手帳を押収して来たこと、その記載内容の疑義を指摘して再度それをもとにわいせつフィルムの販売のことをあれこれ問うたが、岩田は否認し続けたこと、結局面割りと事実の確認の為星野を四日市北警察署に呼び出し、岩田と面接させたこと、岩田は星野を見ると態度が変り平あやまりとなり、結局岩田と星野の間で示談することになり、岩田は三〇万円出すと言うと星野はこれを拒否し、最後に五〇万円を出すことになつたこと、星野がこれさえも拒否せんとする勢いを示したので被控訴人が同女を宥めて右金額で承諾させたこと、翌日夕方までに岩田は五〇万円を被控訴人の所へ持参する約束をしたので、被控訴人は前記手帳、自動車の鍵および運転免許証を返して同人を帰宅させたこと、翌々日井生と岩田の妻美代子が五〇万円を支払えないと言つて被控訴人を尋ねて来たので桑名の旭旅館で話し合つたが、その際被控訴人も星野の求めによつて立合つたこと、二〇万円で話しをして欲しいという岩田美代子の要望を聞いて腹を立て、星野が帰つてしまうと結局井生等に頼まれて被控訴人が星野方へ岩田美代子が同日持参していた二〇万円を持つて行き、翌日更に五万円を送付するからと言つて二五万円で星野を承諾させる役割を果したこと、その際領収書も示談書も作成しなかつたこと、翌日五万円が星野に送られたので、被控訴人は告訴状、診断書を星野に返還してやつたこと、その後星野が更に二五万円の支払を要求して岩田方に電話すると聞いて被控訴人は同女に注意してこれを辞めさせたこと、三崎は岩田を任意同行した時のその家の主であつたが、被控訴人はその時初めて三崎を知つたこと等を述べている。

(五)  <証拠>によれば、被控訴人は星野の告訴を受理するまでの経過、星野、三崎との面識、交際について、おおむね司法警察員に対する供述と同旨の供述をしているが、星野の告訴を受理するについての管轄は、星野を自動車に乗せた時に実行の着手があつたとすれば、四日市北警察署は犯罪地までの通過地点として管轄があると考えたこと、告訴状受理手続をしなかつたことおよび同時に上司に報告しなかつたことについては、被疑者の名前がはつきりしてから上司に報告しようと考えていたこと、わいせつフィルムの販売のことについて岩田にあれこれ問うたことは、元々右の罪は防犯係のすることで知能犯等を扱う被控訴人の職分ではなかつたが、自己の名誉欲から捜査の端緒だけでも掴みたかつたからだと述べたことが認められる。

(六)  <証拠>によれば、一〇月一七日の岩田の自動車を発見した経過について、従前の司法警察員に対する供述とは異り、対向車と離合するに際し一旦これを避けて左折して小路に入つたところ、前方に岩田の自動車が駐車しており、前照灯でナンバーを確認したと述べていることが認められる。甲第八一・第八二号証にママれば、この点の供述は更にその後変化し、星野の告訴を受理した後、三崎から「ちよこちよこ、こちらに来る男や」等と聞いたので、三崎から聞かされていた同人宅の前を一〇月一七日の前にも2.3度通つてみたこと、司法警察員に対する供述と異つたことについては、昭和四六年一二月二四日の検証によつて、道路を通過した位では自動車のナンバーまでは見えないことが分かつたので、記憶違いを理由に一旦左折したと供述したと述べたことが認められる。

<証拠>によれば、被控訴人は、岩田に対し約一時間にわたつて星野の強姦の事実を問いただしたが、否認するので、手をかえ、わいせつフィルムの販売のことを聞いてみたが、これも前同様否認するため、途中同僚に岩田の身柄のことを頼んで三崎方の前に駐車中の岩田の自動車を捜索しに出かけたこと、被控訴人は同車の中からわいせつフィルムを発見することは出来なかつたが手帳を一冊押収して帰つたこと、手帳には個人や会社の名前や住所が記載されていたが、その中には何軒かのカメラ屋の記載があつたので、被控訴人は岩田に対し、「カメラ屋が多いが、まだフィルムを売り歩いているのだろう。」とか、「お前はフィルムの前科が4.5回あるから今度行くと最高に行く。」等と言つたりもしたこと、しかしながら岩田は、強姦の事実もわいせつフィルムの販売の事実も否認するので、被控訴人は、このうえは星野を呼んで岩田と対決させよう等と考えて星野を四日市北警察署に呼び出したこと、岩田が星野と二人だけで話をさせてくれと言うので一旦席をはずしたが、星野が岩田から三〇万円で解決してくれとの話が出たが、同女としてはあくまで処罰して欲しいと言つて来たので、被控訴人は岩田に対し「それでは事件にするか。」と言うと、岩田は「五〇万円出すから解決してくれ。」と言うので、星野に助言して右金額で納得させたこと、被控訴人は岩田から右手帳を任意提出させずに返還し、又岩田の供述調書も作成しなかつたと供述していることが認められる。

(七)  <証拠>によれば、次の事実が認められる。即ち、被控訴人は、右一二月二九日の取調べに際し、三崎と被控訴人との関係がまことに親しいことを思わしめる甲第二八号証の元になる電話の録音テープを聞かされるに及んで、三崎は星野の告訴を受理して後、四日市北警察署に親しく電話してくるようになり、四日市北警察署から県警察本部に配置換になつて後も同様に電話して来たが、むげに断ることも出来ずに応対していたと述べ、三崎との関係を隠していたのは疑いを持たれるのが恐ろしかつたからであると述べ、更に昭和四七年一月六日になると、三崎は星野の一件以前から知つてはいるが、単に顔見知りの程度にすぎず、岩田を三崎方から連行する時も互に知らぬ顔をしていたのは、その程度の知合いだつたにすぎないからだと更に供述を変えるに至つている。そうして、同月一一日の取調べに際し、被控訴人は、検察官から既に取調べ済の加藤純子、門野源、葛山雅代の各供述との喰い違いを指摘されると、門野等の詐欺事件の示談には無関係ではなかつたこと、三崎や星野の近隣に住んだことはあり、また三崎の前妻加藤純子とは親しかつたが、三崎を知つたのは昭和四〇年三月二九日富田警察署即ち四日市北警察署に移つて後であると述べている。

(八)  <証拠>によれば次の事実が認められる。被控訴人は、昭和四七年三月八日の取調べに際し、星野とは星野の告訴を受理するまでは面識が無く、強姦の告訴も同女からなされたものではなく、九月の末頃三崎から知合いの女が乱暴されたので聞いてやつて欲しいとの電話を受けて、自ら星野方へ出かけて事実の有無を問うたところ、その場に同席した三崎が、「相手と示談してくれ。金をとつてやろうと思うんやけど。」と言うので被控訴人はそういうことは警察のすることではないと言つて帰宅したこと、従前星野のことを自動車の盗難事件のことで知つていると述べたのは、司法警察員の取調べの際、星野がその様に述べ、同女から口裏を合せて欲しいと依頼されていたからであると述べ、また、被控訴人は、同月一一日には、告訴状を被控訴人の所へ持参したのは三崎であつたと供述するに至つている。

(九)  <証拠>によれば、被控訴人は、最初から星野の告訴を強姦罪が成立するには難しい事件と考えていたが、その理由は旅館へ、しかも双方が合意で入つて行つた点において犯罪の成立を認めるのが難しいと考えたという、一方で自分をたよつて来た星野の供述は全く疑わなかつたと述べている。

三被控訴人は、本件の第一回公判期日(甲第三号証)において、三崎および星野との共謀が無いこと、岩田に対して金員を要求した事もまた金を出さねば逮捕するとの言動も示していないこと、示談についても岩田から任意に申出があつたからであり、二〇万円も岩田美代子に頼まれて星野に手交する役割を果したにすぎぬと供述して犯行を否認し、前記二、3で認定したとおり司法警察員および検察官に対しても終始右と同旨の供述をしているけれども、その供述内容の変遷を仔細に追うと、星野の告訴を受理した経過、星野および三崎との面識および交際の点、一〇月一七日岩田を四日市北警察署に連行するに至る経緯について、供述は変転として一貫性を欠き、その弁解は不合理で説得力を欠いている。かかる被控訴人の供述ないし供述調書の矛盾を先に認定した岩田、岩田美代子および星野の各供述調書に照らして判断すると、被控訴人が三崎および星野と共謀して公訴事実にあたる犯罪を敢行したと認定することは決して不合理とは認められない。即ち、

1 四日市北警察署に星野の強姦についての管轄のないことは明らかであり、犯罪地への通過地点として管轄を認めようというのは被控訴人の強弁に他ならない。予め星野・三崎から相談を受けたのなら犯罪地である名古屋ないしは被害者の住所地である桑名の警察署への告訴を指導すべきであり、被控訴人の経歴に照らしてこの点に気付かぬ筈はない。仮にやむをえず告訴状を受理したとしても、直ちに星野の告訴調書をとつたうえ上司に報告し、四日市北警察署長の手を経て所轄の警察署に事件を移送すれば必要且つ十分であつたものである。然るに被控訴人は、星野に事実の有無を確めたのみで、強姦致傷なのか強姦なのか必ずしもはつきりせず、従つて強姦罪ならば親告罪として告訴期間の遵守が手続上重要な問題点になることを知らない筈はないのに、告訴の受理手続を行わず、また内規によつて告訴を受けた時は直ちに上司に報告せねばならぬのに、それも怠り、しかも自分自身、犯罪の行われた場所が旅館であることから強姦罪の成立を認めるのは難しいと考えたと言いながら、星野の年令からすれば一応は告訴の内容を疑つてみねばならぬのに、同女の供述は全く疑わなかつたと言い、まして被控訴人の弁解通りとすれば、三崎とはこの時まで顔見知り程度の知合いであり、しかも星野とは三崎の連絡によつて星野方を訪ねた時、初めて会つた関係だというのであるから、星野の身上、経歴は勿論のこと、三崎と星野の関係、星野のいう強姦に至る経緯を仔細に聞いてみるべきであるのに、この点は何ら捜査せずに、三崎を通じて星野が出したという告訴状に基づき、直ちに自動車のナンバーから岩田を割り出し、同人の前科前歴も調べたというのは、原審における証人小谷潔の証言によれば、成績優秀の故に県警察本部の捜査二課員に選ばれ、将来を嘱望されていたという被控訴人の行う通常の捜査活動とは認められず、何らかの意図の存在を推認せざるをえない。そうすれば、被控訴人が星野方を訪れた際、三崎から「相手と示談してくれ。金を取つてやろうと思うんやけど。」と言われたことによつて、被控訴人は口ではこれを拒否したものの、先に認定した通り、古くから知合い、何かと手を貸す関係にあつたことから、直ちに三崎と星野の関係および三崎の意図を察知し、自らこれに加担する意思を有するに至つたと判断することは不合理とは認められない。

そうして、このことは、一〇月一七日被控訴人が岩田を任意同行するに至る経緯によつても更に補強される。即ち、被控訴人は、同日岩田の自動車を発見するに至つた経緯について、検証をきつかけとして記憶違いと称して供述が変つているけれども、被控訴人が対向車と出合つたという道路の幅員、および現場の状況、被控訴人が当時乗つていたという自動車の車種および対向して来たという自動車の車種をかれこれ勘案すれば、変更後の供述も必ずしも信用性の高いものとは言えないこと、告訴後、被控訴人は、三崎から、こちらへちよこちよこ来る男であるとの連絡を受けただけで、一〇月一七日以前も岩田が来ていないかと三崎方の前を数回通つてみたこと、星野は、加藤という男に強姦されたと言い、しかも同女は一〇月一七日に初めて被控訴人から加藤の本名は岩田であることを聞いたというのに、被控訴人は自動車のナンバーから岩田を割り出したうえ、任意同行とはいうものの、運転免許証も自動車の鍵も取り上げる強力な形で岩田を三崎方から四日市北警察署へ連行し、直ちに星野の強姦の事実を問いただしていること、岩田が星野に対して支払う金員に関する情報を星野が三崎に連絡するまでもなく三崎は知つていたことを合せ考えれば、岩田が加藤と同一人物であることおよび一〇月一七日に岩田が三崎方へ来ることを被控訴人は三崎から予め知らされていたと推認することは不合理とは言えないし、また被控訴人が三崎との知己の点についても故意に嘘をつき、証拠をつきつけられると順次時間をくり上げてゆく経過および既に認定した加藤純子および葛山雅代らの供述内容に照らしても、被控訴人と三崎は古くからの知合いで、三崎が何かと持ちこむ相談事に被控訴人は手を貸す関係にあつたと推認することも不合理とは認められない。

2 被控訴人、星野、三崎の本件犯行の共謀について、被控訴人は、検察官の冒頭陳述(甲第三九号証)および被控訴人の本件に関する判決(甲第一号証)のこの点に関する判決理由を引用して共謀の存在しないことを主張する。成程、九月三〇日の夜、星野の家の前で三者の謀議が成立したとの事実は証拠上認め難い。

しかしながら、星野と三崎の共謀は、既に認定した通り星野の供述によつて容易に認定されるところ、被控訴人の供述に反して、星野は、被控訴人を本件以前から知つており三崎と共に被控訴人方を訪ねたことがあるというものであり、星野は、三崎から告訴さえすればあとは被控訴人がうまくやつてくれると聞かされていた。

以上の事実関係および前項で認めた事実関係を前提に判断すると、四日市北警察署に呼出しを受けた星野が、既に実行の着手をしていた被控訴人から、岩田が強姦の事実を否認していることおよび岩田が示談したがつているが被控訴人は職務上金の話をすることは出来ないと聞くに及んで、被控訴人の意図を察知し、互にいわゆる現場共謀して同女がその後の実行行為を加担する形で三者の共謀を認定することは証拠上十分可能であり、そうすれば翌々日の旭旅館での話合いにおいて被控訴人が岩田美代子の供述する如き脅迫文言を述べなかつたとしても、岩田とその妻が何とかわいせつフィルムで起訴されるのを避けようと苦慮しているのを知りながら行動していた以上、星野をなだめるべく行動したことは前記認定の妨げとなるものではない。

四以上の通りであり、検察官が被控訴人に犯罪の嫌疑が十分あり有罪判決を期待しうる合理的根拠があると判断して起訴し、公訴を維持したことは、たとえ三崎の供述が無かつたとしても論理法則上、不合理なものとは言えず、これをもつて違法な公権力の行使であつたとはいいえない。

そうすれば、爾余の点の判断をするまでもなく、被控訴人の請求は理由が無いので棄却するべく、原判決中被控訴人の請求を一部認容した部分は失当であるからこれを取消したうえ、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(竹田國雄 海老澤美廣 笹本淳子)

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